所長の研究日誌

このブログを書いている人

NPO法人他力本願研究所 所長
前川進介

物事の考え方や捉え方、人の感情のあれやこれやについて自由に書きまーす

【note:2019年3月13日掲載 vol.001】 第1節:「具体と抽象」と「抽象度」

掲載元:note(2019年3月13日掲載)

https://note.mu/maegawa_shinsuke/n/n8f03e2429c82?magazine_key=m0e09afcfe2eb

 

【vol.001】 第1節:「具体と抽象」と「抽象度」

 

このnoteでお伝えしたい概念を一言で言うと、「具体と抽象」です。この概念を知り、使いこなすことで、学習がとてもラクちんになります。その流れで人生もラクにしようじゃないかというのがこの授業。ホンマかいな?と思われるかもしれませんが、私はけっこう本気です。
(あ、今日の講義だけではムリですよw これから続く講義を全部読んでいただければ人生がラクになると思います。)

 

ところでこの「具体と抽象」ってどういう概念かご存知ですか?明確な概念はわからなくても、イメージは持っていらっしゃるんじゃないですかね。私がこれまで聞いてきた中では、多くの方が

 

「具体はハッキリしていてわかりやすい」
「抽象は曖昧でわかりにくい」

 

みたいなセットで認識されていたんですが、これは悲劇的な誤解なんですよ!!そもそも抽象は曖昧なもんじゃなくって、「ドンピシャ!ズバリ!」な捉え方なんです。

 

例えば、

浄土真宗本願寺派の僧侶から当研究所の名称変更の依頼がきました

こんにちは。

まえぴょんです。

 

「NPO法人他力本願研究所」っていう名称、自分で命名しておきながら言うのもなんですが、とても気に入っています。

 

先日も初対面の人に名刺を渡すと、「お!え!?」みたいな反応が返ってきて掴みはOK!その後の会話も弾みました。

 

ただ、設立当初から批判もあるだろうなぁ、と思っていた通り、この名称を不快に思われる方もいらっしゃるということを、我々は改めて認識させられる出来事がありました。

 

表題の通り、石田さんという浄土真宗本願寺派の僧侶から、NPO法人他力本願研究所の「本願」という言葉を削除してほしいとの依頼がfacebookページに寄せられました。「他力本願」という言葉は元は仏教用語であり、我々の言葉遣いが本職の方からすると居心地が悪くモヤモヤさせてしまっているようでした。

 

結論から申し上げると、

 

ウェブサイトに記載している「自力本願」という表記が誤解を与えかねないため、自力本願に、

「自力本願(?)」こんな言葉はありませんが……」

という表記を追記することを弊社が行い、「他力本願」という表記に関して石田さんには是認はしないが黙認していただく方向で話がまとまりました。

 

 

今回、その一連の出来事をブログに掲載するわけですが、その目的は3点あります。

 

①「他力本願」という言葉遣いについて陰で「誤用だ」「こいつらわかってない」「無知だ」と批判をする人たちがいるので、誤用とも言い切れないし、元来の意味も知っているよ、ということをお伝えしたいから。

②とは言え、素人の私よりも本職の石田さんが語られる「他力本願」の内容の方がとても奥深いものがあったので、それを一人でも多くの人に共有したいから。

③今回の議論がお互いを尊重し合っているように見受けられ、とても豊かさを感じられる批判であり、他者を批判する時の参考になると思ったから。

 

自分らしさを奪う「条件付きの愛」(朝来市寄稿コラム)

※この記事は「人生を前向きに歩んでいくための心の土台づくり」と題して、前ぴょんが朝来市広報誌2018年8月号〜2019年3月号までシリーズで寄稿しているコラムの10月号分です。

広報誌のウェブサイト版はこちら

 

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  • 「条件付きの愛」

5年ほど前、長男がまだ4歳の時に、私は子どもに優秀な人間に育ってほしいという思いが強く、遊びで算盤を教えていました。しかしすっかり父親側に熱が入ってしまい、「なんでこんな簡単なことがわからんねん!」と声を荒げて怒ったことがありました。おどおどと不安そうな長男の顔を今でも覚えています。やっちまいました。これは「条件付きの愛」です。

 

「条件付きの愛」とは

 

「成績が良いあなたは好き」

「みんなと仲良くできない子はダメだ」

 

など、親が定めた条件をクリアしたときだけ認める関わりを言います。「条件付きの愛」を押し付けると、子どもは萎縮したり投げやりになったりして、過剰に親の目を気にするようになりがちです。

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