所長の研究日誌

このブログを書いている人

NPO法人他力本願研究所 所長
前川進介

物事の考え方や捉え方、人の感情のあれやこれやについて自由に書きまーす

浄土真宗本願寺派の僧侶から当研究所の名称変更の依頼がきました

こんにちは。

まえぴょんです。

 

「NPO法人他力本願研究所」っていう名称、自分で命名しておきながら言うのもなんですが、とても気に入っています。

 

先日も初対面の人に名刺を渡すと、「お!え!?」みたいな反応が返ってきて掴みはOK!その後の会話も弾みました。

 

ただ、設立当初から批判もあるだろうなぁ、と思っていた通り、この名称を不快に思われる方もいらっしゃるということを、我々は改めて認識させられる出来事がありました。

 

表題の通り、石田さんという浄土真宗本願寺派の僧侶から、NPO法人他力本願研究所の「本願」という言葉を削除してほしいとの依頼がfacebookページに寄せられました。「他力本願」という言葉は元は仏教用語であり、我々の言葉遣いが本職の方からすると居心地が悪くモヤモヤさせてしまっているようでした。

 

結論から申し上げると、

 

ウェブサイトに記載している「自力本願」という表記が誤解を与えかねないため、自力本願に、

「自力本願(?)」こんな言葉はありませんが……」

という表記を追記することを弊社が行い、「他力本願」という表記に関して石田さんには是認はしないが黙認していただく方向で話がまとまりました。

 

 

今回、その一連の出来事をブログに掲載するわけですが、その目的は3点あります。

 

①「他力本願」という言葉遣いについて陰で「誤用だ」「こいつらわかってない」「無知だ」と批判をする人たちがいるので、誤用とも言い切れないし、元来の意味も知っているよ、ということをお伝えしたいから。

②とは言え、素人の私よりも本職の石田さんが語られる「他力本願」の内容の方がとても奥深いものがあったので、それを一人でも多くの人に共有したいから。

③今回の議論がお互いを尊重し合っているように見受けられ、とても豊かさを感じられる批判であり、他者を批判する時の参考になると思ったから。

 

「他力本願」な生き方、在り方

2018年、私たちは「NPO法人 他力本願研究所」を立ち上げました。

今回はこの「NPO法人 他力本願研究所」を立ち上げるまでの経緯やその根底にある思いなどについて触れたいと思います。

 

まず、前提のお話から。
この「他力本願」とは、元来は「他人の力を利用して事を成すこと」を意味しているわけではありません。それは世に蔓延している誤用です。
(※2019年3月11日追記※ しかしもはや誤用が定着し、辞書にも「自分の力でなく、他人の力によって望みをかなえようとすること。」と記載されるようになりました。)

私もこの言葉の元来の意味は最近知ったのですが、元は仏教用語で、死ぬ間際でもいいから「南無阿弥陀仏」と唱えさえすれば阿弥陀仏によって救済される(≒極楽浄土に連れて行ってもらえる?)という、浄土真宗の教義根幹に関わる教えのようです。

「のようです」と伝聞にしているのは、私は無宗教で、浄土真宗のことも詳しくは知らないから。だけど、そんな私でもこの「他力本願」という言葉の意味を知った時には、なんて素敵な捉え方なんだ、と思ったのと同時に、何か肩の力が抜けた感覚を得ました。