所長の研究日誌

このブログを書いている人

NPO法人他力本願研究所 所長
前川進介

物事の考え方や捉え方、人の感情のあれやこれやについて自由に書きまーす

物事を多面的に見られるようになると人生がラクになるかもですよ?

こんにちは。

今回は「物事を多面的に見られるようになると人生ラクになるんちゃいまっか」という話を書きます。

 

 

キッカケは種苗法改正についての議論でした

 

わたくし、大学は農学部でして(遊んでばかりでしたが)、前職では青汁の原料「ケール」の栽培管理を担当していまして、今年からはこれまで両親が栽培している畑を手伝おうとしている身でもありまして、私にとって農業は比較的身近な存在です。そんな農業とは切っても切り離せないであろう「種苗法改正」に関する記事や投稿が最近多く見られたので、一体どんな法改正なのか自分なりに調べてみました。

 

ざっくり言うと、

 

 

世の中にある果樹や野菜、穀物などの品種の約1割は、品種を育成してきた人に育成者権がある「登録品種」だから、それらの種を自分で採取して植えちゃダメよ。そうやって自家採取したいなら、育成者権者に許諾申請してからにしてね。ま、その登録される期限は30年もすれば切れるんだけど。あ、残り9割の「一般品種」はこれまで通り自家採取もご自由にどうぞ。

 

というものでした。

 

 

登録品種と一般品種

登録品種と一般品種(農水省ウェブサイトより引用)

 

 

そして、なんでこんな法改正をすることになったかと言うと、

 

 

  農業者の皆様に、優良な品種を持続的に利用してもらうためです。

  日本で開発されたブドウやイチゴなどの優良品種が海外に流出し、第三国に輸出・産地化される事例があります。また、農業者が増殖したサクランボ品種が無断でオーストラリアの農家に譲渡され、産地化された事例もあります。このようなことにより、国内で品種開発が滞ることも懸念されるので、より実効的に新品種を保護する法改正が必要と考えています。
(以上農水省ウェブサイトより引用)

 

とのこと。現行法でも登録品種を勝手に増殖させることは違法なんですけど、その勝手に増殖させた種をもらって栽培する人に対しては罰則を与えることができないみたいです。だから日本の登録品種を海外に持ち出され産地化されても、文句は言えても事実上止められない。

 

音楽業界に例えると、コピーガードを掻い潜って音楽を違法ダウンロードできる仕組みを作ったヤツには罰を与えられるけど、それをダウンロードして楽しむ分に関しては咎められない、みたいなもんですね。

 

だからそこの罰則も強化して、品種を開発する業者を守り、引いては日本の農家さんも守りましょうというのが、この種苗法改正の趣旨のようです。アーティストを守り、そのCDを販売する業者さんも守りましょうって感じか(CDはもう古いけど)。

 

だから私はこの法改正に関して特に問題を感じませんでした。というか、早く改正した方がいいじゃん、というのが率直な感想。

 

 

そしてここからが本題。

 

ある方がSNSでこの種苗法改正について反対の意思表示をしてはったんですね。日本から種が奪われるような法改正はダメだ!みたいな投稿をシェアする形で。

 

その投稿元には、法改正されると日本の種は外資系会社の独占になってしまう、とか、日本の耕作放棄地が増えるとかいう推測があたかもこれから必ず起こりそうな表現で書かれていて、論理の飛躍が甚だしい内容でした。

 

その投稿を見て、これは恐らく種苗法改正の趣旨や内容を知らないまま拡散されてるんだろうな、と危惧して、他人を批判するのもなぁ、、と思いながらも、自分なりに調べた法改正のメリットなどをコメントに残しました。

 

すると、シェアをしておられたその方はすぐにその投稿を削除され、私にダイレクトメッセージをくださいました。「偏った投稿かもしれないと判断して削除しました。気づかせてくれてありがとうございます。」って。

 

その方は偏りたくないんですって。だから自分でいろいろ調べてはいるんだけど、今回のは浅はかだった、と反省されていました。

 

 

私が心がけているのは「一旦ニュートラル」!

 

私はその「偏りたくない」という生き方と、自分の非を認めて反省される姿勢、態度にとても共感しました。なぜなら、それは私が普段から心がけている姿でもあるからです。

 

私は自分の極端な発言からよく変態扱いされますが、自分ではけっこうニュートラルな物の見方をしていると思っています。一旦中立的、客観的に思考を働かせたうえで、最終的に白黒ハッキリさせた結果、極端な結論を導いているだけで、実は一旦はとてもニュートラルなんです(自称)。

 

例えば私は娘を学校に通わせる気がサラサラないんですが、それって学校に通うのが当たり前という常識や慣習に囚われず、学校に通ったことで得られるメリットとデメリット、また通わせないことで得られそうなそれらとをニュートラルに比較した結果、通わせずに我々夫婦で教育した方がこの子の自立に繋がるだろうな、と結論づいただけです。

 

むしろ、学校に通わせるべきだと盲目的に思い込んでいる方が危険な思想だと思っています。あ、もちろん、我々のような例外的な考えを押し付けはしませんけどね。そこは自由なんで。

 

 

一旦ニュートラルに考えるコツ!

 

でね、このニュートラルに考えるという行為には技術的な要素があって、コツを掴めばある程度はできるようになります。そのコツとは、物事の両面を見ようとすること

 

今回の種苗法改正の場合だと、種苗法改正によって懸念されるデメリットだけでなく、メリットにも目を向けてみることです。

 

 

登録品種を自家採種して譲渡すると、自分や譲渡先が罰則を受けるという農家のデメリット(それ自体が楽曲の違法ダウンロードみたいなもんですけどね)もあれば、良質な種苗が海外に流出することを防いだり、農家の「違法ダウンロード」を防いだりして品種の育成に関わっている人を経済的に支援し、結果的に日本の農業を守ることに繋がるというメリットもあるわけで、当然、そのメリットは巡り巡って農家個人にも反映されます。

また、自家採取に制限がかかる約1割の「登録品種」にばかり目を向けるのではなく、9割も存在している自家採取フリーの「一般品種」に目を向けるのも、一種の「両面を見る」ことに繋がります。ちょっと専門的になるかもしれませんが、品種改良してできたF1種からタネを採っても、翌年同じ品種が成ることはまずありません。在来種や固定種と言われるタネであれば、種を採れば翌年も同じ品種として成長します。そしてその在来種や固定種は自家採取フリーの「一般品種」であり、これらが「登録品種」になることはありません。

 

 

ここまでを理解できたならば、

 

・登録品種を自家採取できなくなる農家は不満を持つ
・品種を育成している業者に恩恵が得られる
・1割の登録品種は自家採取できない
・現存する9割の一般品種は今後も自家採取できる

 

少なくともこれら4つの「面」から見ることができたことになります。

 

 

またさらに、農業についてのみ考えるのではなく、この法改正が種苗業界や食品業界、我々の健康、地方の過疎化や税金の使い途、引いては日本経済などにどのような影響を与えるのかと思い巡らし、論理的に考えることは、その「面」の数を増やすことになります。

 

そうやって一つの物事を多面的に捉えられるようになった時、人は世の中への理解を高めることができるようになるんだと思いますし、「あー、だからか。」と納得できると人の気持ちは落ち着くものですから、精神的なストレスも減るんだと思います。

 

こうやって物事が多面的に見えて精神的にも落ち着いている状態を私は「ニュートラルな状態」と呼んでいて、そのニュートラルな状態を整えてからその是非を判断することが大切だと考えています

 

 

それは「客観視」ともほぼ同義かな。初めの偏った主観的なものの見方から、両面を見ることでまずは客観性を得て、さらに多面的に見ることで物事の理解を深める。

 

その状態までいくと、自分と反対の考え方の人や、異なる立場に置かれている人に対しての思いやりが生まれやすいようにも思いますね。

 

 

ちなみに、その見える「面」の数を増やすために歴史や地政学、生物学や心理学などの学問を学ぶと言っても過言ではないと考えています。そのベースとなる学問なくしては、「面」の切り方や捉え方が歪んでしまいそうで。(また話逸れちゃうけど、そういう意図もなくただ成績を上げさせようとする学校には通わせたくないんだわ)

 

 

 

実は鬱から抜けるのに「ニュートラル」が必要だった

 

なんか偉そうな物言いになってしまった気もしますが、私だって以前はとても偏っていました。そんな私がなんで物事を多面的に見られるようになったかというと、それは私自身が鬱から抜ける際に必要だったからに他なりません。

 

 

「大口の取引先との契約を切られて会社の売上を壊滅的に落としてしまった私は経営者失格だ。これからの資金繰りをどうしよう。。」

 

なんて、ネガティブな面ばかりに注視してると「人生やってらんねー!」という精神状態に陥るので、事実は事実として受け止めたうえで、

 

「でも今回の出来事からいくつかの学びも得られたな。取引先との信頼関係を築き上げるためには、もっと本音で語り合える場を持っておけばよかったんだ。それにあの取引先は上場を控えていたから生産体制を強化する必要があってのリストラだったんだろう。」

 

と、一つの出来事を多面的に見ようとする態度が習慣づいた時に、思考も精神もニュートラルになって、鬱になりにくい人間になったような気がします。

 

 

人生をラクに生きるためにも、物事を多面的に見てみませんか?

 

裏を返すと、物事を多面的に見れない思考回路は鬱になりやすいということでもあります。例えば

 

・子どもが学校に行かなくなった=良くないこと
・嘘をついた=人として最低のこと
・離婚=恥ずべきこと

 

なんて思い込むと、すべてが順風満帆でない限り精神的なストレスを抱え込むことになりますから。でも実際人生って思い通りにいかないこともあるじゃないですか。ってか、思い通りにいかないことの方が多いかも?

 

そんな時にネガティブなある一面からしか見られないと、自分の思い通りにいかない対象に攻撃的になりやすいし、それが余計に人間関係を悪化させ、またストレスが、、という悪循環に陥ってしまいがちです。

 

それを、反対側も覗いてみる。さらに、経済学や心理学や生物学のような様々な面からも覗いてみる。そういうアプローチを心がけてみると、少しずつでも世の中が理解できてきて、理解が進むからこそ心も落ち着くという好循環になるんじゃないかと思うわけです。

 

 

そんなわけで、種子法改正の一件から、物事を多面的に見られるようになるともっと軽快に生きていけるんじゃないかと思った経緯を書きました。

 

 

あ、最後に誤解のないように書き足しますが、種子法改正に反対している人を非難しているわけではないですよ。種子法改正の内容を理解したうえで反対されるのは個人の自由であって、その自由を侵す気はこれっぽっちもございません。導かれた結果ではなく導くまでのプロセスについて提案しているだけでありますので、誤解無きよう、お願いします。

 

【note:2019年6月6日掲載 vol.011】自分が苦しくない領域に逃げてコトが前に進み出した②

掲載元:note(2019年6月5日)

https://note.mu/maegawa_shinsuke/n/n69bf257e1a27?magazine_key=m5de80cecedb8

【vol.011】 自分が苦しくない領域に逃げてコトが前に進み出した②

 

地域課題解決型シェアハウスみんなの家の運営と法人化

 

嵐のような10日間が終わると、いろんな人が会いに来てくれました。選挙って不思議なもんですね。それまではロクに人の話を聞いてくれなかった人でもこちらの話に耳を傾けてくれるようになったり、身近なお困りごとの相談をされるようになったりで、一躍時の人の付き人みたいな状態になっていました。

 

しかしそんな状態でも、やはり不安はしっかり残っていました。果たして経済的にやっていけるのだろうか、一度壊れたこの心身は元どおりになるんだろうか、と。

 

 

 

そんなタイミングで私は

【note:2019年6月5日掲載 vol.010】自分が苦しくない領域に逃げてコトが前に進み出した①

掲載元:note(2019年6月5日)

https://note.mu/maegawa_shinsuke/n/n475a044ccc00?magazine_key=m5de80cecedb8

 

【vol.010】 自分が苦しくない領域に逃げてコトが前に進み出した①

 
 
 
 
 

木酢液事業から逃げてまちづくりへ

 

私が鬱になる前から自社にコンサルとして来てもらっていた横田親(よこたいたる)という男がいました。彼はリクルート出身の変わり者で、話は非常にロジカルだし、それでいて感性も豊かだったので、当時の私はとても懇意にしていました。

 

そんな彼には木酢液事業のコンサルをお願いしていたわけなんですが、

「前川さん、一緒にまちづくりをやりましょうよ」

 

と会うたびに誘ってくるほど、まちを良くしていくことが自分の活力なっているような男でした。

 

 

 

一方で私はお金を稼ぐことに重きを置いてたので、その儲からなさそうな

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