掲載元:note(2019年6月5日)

https://note.mu/maegawa_shinsuke/n/n69bf257e1a27?magazine_key=m5de80cecedb8

【vol.011】 自分が苦しくない領域に逃げてコトが前に進み出した②

 

地域課題解決型シェアハウスみんなの家の運営と法人化

 

嵐のような10日間が終わると、いろんな人が会いに来てくれました。選挙って不思議なもんですね。それまではロクに人の話を聞いてくれなかった人でもこちらの話に耳を傾けてくれるようになったり、身近なお困りごとの相談をされるようになったりで、一躍時の人の付き人みたいな状態になっていました。

 

しかしそんな状態でも、やはり不安はしっかり残っていました。果たして経済的にやっていけるのだろうか、一度壊れたこの心身は元どおりになるんだろうか、と。

 

 

 

そんなタイミングで私はまた良い出会いに恵まれました。井口元(いぐちはじめ)という男です。彼は横田の知人で選挙の時には地元大阪から駆けつけてくれ、昼間は選挙カーを運転してくれたり、寒い倉庫の中で夜な夜な有権者へのハガキを書き続けてくれたりと、とても献身的な働きをしてくれていました。

 

 

そんな姿に惹かれた私は、

 

「一緒にこの地域の課題を解決する事業を興さへん?もしそれで井口君が丹波に来てくれるんやったら、井口くんが住む家はオレが買うから。」

 

と、非常にザックリとしたお誘いをしました。

 

 

・木酢液事業から逃げたい気持ちがあったこと
・横田に誘われた「まちづくり」の関わりで地域に多くの課題があることを知ったこと
・なんでも課題を解決することが好きな性格であること
・自宅の向かいの家が数年前から空き家になっていたこと
・信頼できる井口元が転職活動中だったこと

 

 

これらを総合的に考えると、このようなお誘い文句となりました。

 

 

その結果、当時、井口君は大手企業から内定をもらっていたようでしたが、その内定を蹴って丹波に来てくれることになりました。収入が随分と安くなるにも関わらず。ほんと、男気とは彼のために用意されている言葉かと思いましたね。

 

 

 

そして、私が買おうとしていた空き家は、井口君が一人で住むにはあまりにも広すぎるということで、シェアハウスとして運用することにしました。

 

丹波の地域課題を一緒に解決してくれる人が集う、Iターン専用のシェアハウス。名前は、なんかベタですが、「みんなの家」。

 

 

横田の選挙の余韻が冷めぬ2013年1月からシェアハウスの運用を開始し、一人、また一人と移住者がやって来ました。そこから3年間で20人以上の移住者がやって来て、そのうち数名は丹波市に定住、起業しました。シェアハウスとしての効果は十分にあったように思います。

 

 

ちなみに、そうやって移住者を増やす取り組みとは裏腹に、私は2014年に妻と離婚し、二人の息子とともに都市部へ人材が流出しました。

 

丹波にUターンしてきてからは私の精神状態が落ち着かず、かなり負担をかけていただろうから、その時にできるベターな選択だったとは思いますが、家族と離れ離れになってからは、やはり精神状態はすこぶる悪化しました。特に子どものことを考えると心が乱れました。

 

ただ、以前のようなどん底の状態にまでは落ちませんでした。少しずつではありますが、精神のコントロールができるようになってきたのかもしれません。

 

 

シェアハウスみんなの家の運用を始めて数ヶ月が経過した2013年の夏に、地域課題を解決しまくる会社として、井口君と100万円ずつを出資し合い「株式会社みんなの家」を設立しました。

 

代表に私が就くことも考えましたが、私が代表になるよりIターンの井口君が代表に就いた方が面白いことが起こりそうだったので、代表取締役には井口元が就任しました。

 

 

法人化にあたっては多くの人からNPO法人にすることを勧められましたが、あえて株式会社にしました。独立採算して、利益を生み出したかったからです。木酢液事業以外にも、ちゃんとお金を生み出す装置が欲しかった。自分たちで立ち上げた事業で、地域社会に貢献して、適正な対価を得て独立採算できる状態にまでもっていきたかったんです。

 

 

 

その株式会社で行う事業は、抽象的に言うと「地域の課題解決」。課題を見つけて、自分たちで解決できるかもしれないと思ったらそれを解決してマネタイズする事業です。

 

地域の人同士や都市部の人たちとの交流を促進させるためにカフェを運営してみたり、経営課題を本質的に解決していく経営塾を立ち上げたりと、多種多様な事業を始めました。

その中の一つに学習塾事業がありました。丹波市の子どもたちの学力の低さは地域課題と言えると思っている中で、なぜかみんなの家に移住してくるIターン者は東大大学院卒などの国公立大学や有名私学等、学歴が高いメンバーが多くいました。このマッチングは課題解決のビジネスとして成立するだろうと思って立ち上げました。

そんな安直な考えで立ち上げた学習塾事業がキッカケで、後に私の鬱が大きく改善するとは、その時は思いもよりませんでした。

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