掲載元:note(2019年5月14日)

https://note.mu/maegawa_shinsuke/n/nac0df6f0ef8f?magazine_key=m0e09afcfe2eb

 

 

【vol.020】 大津市の交通事故の加害者をバッシングしている人たちの抽象度が低すぎて、個人的には嫌悪感でいっぱい

 

こんにちは。
まえぴょんです。

 

 

今回は直接的に「こくご」の話ではありませんが、大津市で起きた2人の園児が亡くなった事故について、「抽象度」という切り口で文章を書きたいと思います。とにかく書きたい、訴えたい。

 

 

 

まず、今回の痛ましい事故で犠牲になられた二人の園児にご冥福をお祈りします。また現在怪我で入院されている方々の1日でも早い回復を願ってやみません。実は私にも保育園に通う2歳の娘がおります。被害に遭った方のご家族のお気持ちを考えると、言葉になりません。

 

 

そんな今回の事故では、様々な側面から意見が飛び交いました。保育園には罪がないだろうし、相変わらずマスコミは明後日の方を向いてるし、自動ブレーキの搭載を急ぐべきだとか、またあの横断歩道の構造が危険なのではないか、などと、言い出したらキリがありませんが、今回は的を絞って、

 

「加害者にバッシングしている人たちの抽象度が低すぎて、個人的には嫌悪感でいっぱい」

 

ということを書きます。

 

 

 

 

SNSやネット上の書き込みには散々な非難が投げつけられています。

 

 

・車を運転していた二人は許せません。
・滋賀の悲惨な交通事故でアホな女の一人返しちゃったの?起訴しないの?その女が園児殺したんだよ。
・まじでクソすぎてむかつく。そして園児をひいた方の容疑者が釈放…やるせない。悲しい…。
・事故を起こしたら殺人罪適用で良い
・加害者には厳重な罰を与えてください。2年や3年、10年とかで出てこれるような罰では軽すぎます。
・○○容疑者がいなければこのような悲惨な殺人事件は生まれなかった!

 

 

これらは「度を越した非難」であり、それを「バッシング」と言います。またこれは広義の「ネット私刑」とも言うんでしょう。

まぁ匿名のコメントなんてこういう「罵詈雑言まとめ」になりがちなのは認識していますが、「事故」と「事件」の違いすらわからないような人は、きっと法律もわかってないんじゃないのか?という私の偏見があるので、関連する法律に触れながら、

 

 

①そもそもなんでこのような悲惨な事故が起こったのか
②そしてその原因を考えると「明日は我が身」かもしれないよ
③被害者はもちろんだけど、加害者の気持ちも考えようよ

 

 

という話を、「抽象度」という概念を交えて展開したいと思います。



 

そもそもの事故原因は自分の頭で考えない「思考停止」

 

今回の事故の原因は、右折車が無理な右折を試みたことにあります。

それ自体はよくありがちな事故ではありますが、事故直後の報道で、右折車のドライバーが

 

「前をよく見ていなかった」
「衝突するまで直進車に気づかなかった」

 

と答えたと聞いて、前を見ないって一体どういう意識だったんだろう?とドライバーの思考回路が理解できませんでした。

 

そうしてモヤモヤと不思議に思っていた時に入ってきたのが、この続報。

 

捜査関係者によりますと、乗用車は、右折専用のレーンを通り、前を走る車に続くようにして、右折しようとしていたということです。
(NHK NEWS WEBより)

 

ここから察するに、右折専用レーンの前を走る車が右折したから、自分も右折しようと着いていっただけのようです。要するにこのドライバーは、自分の頭で考えなかった、ということです。人がやってるから自分もやった、ということですから。これは、「前をよく見ていなかった」「衝突するまで直進車に気づかなかった」というコメントとも整合性が取れます。

 

つまりこの事故の本質は、安全かどうかを自分の頭で考えず、思考停止の状態でただただ周囲と同じような行動を取ろうとしたことにあるのです。たぶんですけど。

 

 

 

 

明日は我が身で自分も同じような問題を抱えていないか、と、「抽象度を上げて」考える

 

こんな恐ろしい運転は大問題だと思います。だから、あのような罵詈雑言を言いたくなる気もわかります。

だけど、それだけで終わってしまっては、それこそ犠牲になった園児たちが浮かばれないんじゃないでしょうか。

このような悲惨な事故が起きた時には、被害者を弔ったうえで、同じような過ちを繰り返さないために自分に何ができるのかを考えることが、同じ社会を生きる人として重要だと私は考えています。

 

だから、まずは

 

「自分もそういう運転をしてはいないか?」

 

と我がごとに置き換えて考える習慣が大切だと思っています。

 

 

そしてさらに、その我がごとに置き換える際には、抽象度を上げて考えることが極めて大切です。←ここがポイント

 

 

例えば、

 

「私は右折時にちゃんと前を確認している」

 

という抽象度の低い具体的なことを確認して、だから自分は大丈夫、と自省を終わらせてしまうのではなく、抽象度をもう一段上げて、事故原因の本質から考えるんです。

 

 

先ほども述べたように、この事故の本質は、安全かどうかを自分の頭で考えず、思考停止の状態でただただ周囲と同じような行動を取ろうとしたことにあると推測しました。

だから、我がごとに置き換える時には、自分も思考停止で運転してないかな?と考えてほしいんですよ。右折時は前方を確認している、とかじゃなくて。

 

 

 

 

抽象度を上げれば同じこと① 「信号無視」

 

例えば自分の前にトラックやバスなどの背の高い車が走っている場合、前方に信号機があっても、その背の高い車の後部に隠れてしまって直前まで見えないことがありますよね。

で、交差点に進入する際に「前のトラックが進むなら大丈夫だろう」と前のその背の高い車に着いていったところ、進入する直前で信号が黄色から赤色に変わっていて、結果的に信号無視になってしまったという車を見かけます。

 

 

それって、自分の頭で考えられてないんですよ。

 

 

「トラックが直進するんだから、きっと私も大丈夫だろう」

 

と、前の車と同じことをしただけなんで。

 

 

そう考えると今回の事故の原因となったドライバーの思考と大差ありません。

 

 

最近はトラック運転手が気を利かせて、信号が変わりそうな時はハザードランプで後方の車の運転手に知らせてくれるケース(リンク先はyoutube)もあるようですが、基本的には自分で交通ルールを守れるような態勢を整えておけ、っていう話ですね。この場合だと、信号が見えるくらいの車間距離を取っていれば問題ないわけですから。

 

罵詈雑言を吐いている人たちは、そのような運転をしてくれてんのかな?

 

 

 

 

抽象度を上げれば同じこと② 「横断歩行者等妨害等違反」

 

横断歩道に歩行者がいるにも関わらず一時停止を行わなかった場合は「横断歩行者等妨害等違反」となり、減点2です。信号無視と同じ2点。つまり「歩行者が渡っている、あるいは渡ろうとしている」横断歩道は赤信号と同じ意味を持っているわけなんですが、実態はほっとんど守られていません。赤信号はたいてい止まるのにね。

 

2018年にJAFが行なった調査では、

 

「信号機のない横断歩道」の車の一時停止率は8.6%

 

という結果が出ているらしいですよ。

 

そして地域差がびっくりするくらいあるようです。一時停止率のトップ3とワースト4を比べてみると。。

 

 

1位:長野県 58.6%
2位:静岡県 39.1%
3位:石川県 26.9%



44位:和歌山県、三重県 1.4%
46位:広島県 1.0%
47位:栃木県 0.9%

 

 

この差たるや。。ここまでくれば個人の資質というより、文化の違いなんでしょうね。

 

 

11.1%で全体12位の我が兵庫県内でも格差があります。私は高校生まで兵庫県丹波市で暮らしていて、学生時代は同じ県内の神戸市に移り住んだんですが、

 

丹波市→誰も止まらない
神戸市→けっこう止まってくれる

 

という差を経験し、カルチャーショックを受けました。神戸って車の運転にも気品の高さがあるんだな、って。

 

 

さらに崇高なまでの歩行者優先意識の高さを経験した地域が、カナダのバンクーバーでした。学生時代にバンクーバーに1年ほど暮らしていたんですが、とにかく止まってくれる。

 

逆に、こちらが車を運転する側になった時に、横断歩道を渡ろうとしていた人がいるにも関わらず、「このタイミングなら迷惑かからんだろう」と車でササッと突っ切ったら

「HELLO!!!」

と怒鳴られました。当時の私は逆の立場になった時に、スムーズに意識を転換できなかったんですね。日本での運転のクセが出ちゃった。この出来事が印象に残って、反省し、それ以来横断歩道で一時停止する意識が芽生えたように思います。

 

 

 

 

 

ちなみに、自宅から最寄りの横断歩道は国道175号線にあるんですが、丹波にUターンして以来この10年で、その横断歩道で自動車が止まってくれたことは1度だけです(それも一昨日!初めてのことでびっくりしました!)。

 

たまに、その横断歩道でドライバーの意識を試してみようと思って道路の途中まで出てみるんですが、誰も止まってくれません(涙)。

 

 

これはおぼろげな記憶ですが、子どもの頃に私の妹がその交差点で事故に遭いまして、そのこともあってこの交差点は危険だからということで横断歩道が敷かれたんだったかな?だけど、これだけ止まってくれないとなると、ただの白線ですね。白色塗料の浪費です。

 

なんなら、先日は私の妻子が渡ろうとした時に、兵庫県警のパトカーすら止まらずに通過していったくらいですから。もちろん緊急走行時の話じゃないですよ。だから警察官でさえ「横断歩行者等妨害等違反」です。

 

まぁだからうちの近所の横断歩道は機能不全に陥っているので、そこは半ば諦めています。

 

 

※ちなみに、自転車が横断歩道を渡ろうとしていた場合、自転車に跨って待っていたならそれは「軽車両」なので車は一時停止する義務はありません。が、自転車から降りて立って待っていた場合は「歩行者」扱いですから、車は一時停止して歩行者の横断を優先させる義務があります。

 

 

 

で、そういう横断歩道で止まらないドライバーを側から見ていて、彼らは思考停止なんやろなー、と思うわけです。

 

 

「歩行者が飛び出すなんてないやろうし」
「どうせみんな止まってないし」

 

 

って思ってるんじゃないかな。特に100人に1人も止まらないワースト栃木県なんて、もうそんな文化なんだと思うわけですよ。

 

でもね、違和感なくその文化に馴染んでいるということは、それこそ自分の頭で考えていない、っていうことの現れなんですよね。

 

だって実際に信号のない横断歩道での事故は絶えないのに、「他のみんなも止まらないから」という理由で一時停止しないのは、自分の頭で考えず他人の脳みそで考えられた空想に頼りきってるとしか言いようがないでしょう。まぁ文化や常識なんてそんなものですけど。

 

 

さらに、止まった方がいいことはわかってはいるけど、前の車に安全確保を委ねてしまって止まれない人もいます。

 

 

最近ランニングを始めたんですけどね、そのランニングの際に国道175号線を走るんです。で、昨日のこと。国道の横断歩道のある交差点を渡る意思を示しても相変わらず誰にも止まってもらえなかったんですが、ただ、その車の列の中の一台が通り過ぎる時、そのドライバーがこちらに手を上げて苦笑いしてたんです(友だちちゃいますよ、知らん人です)。

 

その表情から察するに、「ごめーん!」みたいな感じ。

 

きっと彼には横断歩道の手前で一時停止しなきゃいけないという認識があったんだと思うんです。だけどボーっとその前を走る車に追随してしまっていて、私を発見した時には止まれなかったんでしょう。で、ごめんとこちらに手を上げて苦笑い。

 

 

そもそもの一時停止の認識がない人よりマシなのかもしれませんが、先の信号無視と同様、これまた前の車に安全確保を委ねきっていて、自分の頭で考えていないケースです。

 

 

実際に横断歩道の手前で歩行者を見つけて停止しようとするならば、横断歩道があると分かった時点で横断しようとしている歩行者がいないかを注視せねばなりません。列の先頭を走っている場合は視界が良好でそのような歩行者を発見しやすいでしょうが、列の途中となると前の車に視界を遮られやすくなるので、歩行者の発見が遅れがちです。発見が遅れると、当然ながら一時停止できる可能性も下がります。で、気づいた時には横断歩道を止まらず通過してしまう。

 

それを防ぐには、これら横断歩道の存在を表す道路標識や、

左から横断歩道、(学校が近くにある)横断歩道、横断歩道・自転車横断帯

 

この写真にある菱形の「前方に横断歩道または自転車横断帯あり」ということを示す路面標識

 

を見つけたら、まず速度を落とすこと。そして前の車から車間距離を取って、横断歩道に歩行者がいた場合は停止線で止まれる準備をすることです。

 

特にこの下の写真のように横断歩道の手前でカーブしている場合は道路標識が見にくく、また横断歩道に歩行者がいるかどうかの確認も難しいので、菱形の路面標識が見えたら減速を始めないと、一時停止が間に合わないかもしれません。

 

ちなみにこのカーブがかってるのが自宅の最寄りの横断歩道。。

 

 

このように意識しながら運転することが、前の車に安全確保を委ねず、自分の頭で考えて、安全に配慮する運転なんじゃないですかね。

 

 

JAFの統計調査からも分かるように、日本人の9割以上が、その地域の文化に染まったり、前の車に安全確保を委ねてしまったりで、自分の頭で考えて運転していないのが明らかです。「横断歩道、みんなで無視すりゃ怖くない」って感じなのかな。

 

 

今回「ネット私刑」をしている人たちも、ちゃんとここまで考えて運転してくれてるんだろうか。統計的に言って9割以上の人が同じ穴のムジナなんだと思うけどな。

 

 

 

 

 

ちなみに、これは余談ですが、今後はこの「横断歩行者等妨害等違反」の取り締まりは急激に強化されるはずです。というのも、2020年の東京オリンピック・パラリンピックには、先のカナダのように「歩行者優先」意識の高い多くの外国人観光客がやって来るわけですが、横断歩道で道を譲られるのが当たり前の文化で生活している彼らは、我々日本人よりも横断歩道を安易に渡るでしょう。そんな彼らの安全を守るためには、国内で車を運転している我々日本人の歩行者に対する安全意識を高めることが急務だからです。

 

実際、それに伴い2018年10月23日付で、「信号機のない横断歩道における歩行者優先等を徹底するための広報啓発・指導の強化について」という通達が警視庁から各都道府県警察本部長宛に発せられています。私の妻子の横断を妨げた丹波警察署だって、こんな通達が出れば対策しますわな。

 

特に今は春の交通安全運動をやっていますが、そのポスターを見ればその警察の意思が一目瞭然です。一番に書かれているのが「子供と高齢者の安全な通行の確保」であり、それを示すイラストとなっています。

 

 

 

こうなると当然「横断歩行者等妨害等違反」の取り締まりが強化されます。取り締まりが強化されるから気をつけろ、という理屈には違和感がありますが、気をつけること自体は社会的に良いことですので、ドライバーの皆さんはちょっと心に留めておいていただければ幸いです。

 

 

 

 

人の振り見て(抽象度上げてから)我が振り直せ

 

まぁ長くなりましたが、つまり何が言いたいかと言うと、大津の痛ましい事故は、自分の頭で何も考えず「前へ倣え」で動いてしまう、その思考放棄が招いた事故だと考えられるんだけど、この悲しき教訓を生かすならば、「自分は右折時には前見てるから」という具体レベルで自省を終わらせるのではなく、その問題の本質を考え、もう一段も二段も抽象度の高いレベルで自省を図る方が、広範囲において意味のある取り組みになる、ということです。

 

 

今回はドライバーという視点から本質を抜いたつもりですが、もちろん人によって、例えば国交相の役人であればガードレールの在り方を考えるかもしれないし、自動車メーカーの人であれば車の自動ブレーキシステムの在り方を考えたかもしれません。それは多様であってもちろんよいのですが、ただ、目に見える表面的な事象から、一旦抽象度を上げる作業はどの分野においても必須です。

 

 

「人の振り見て我が振り直せ」という格言に、「人の振り見て(抽象度上げてから)我が振り直せ」と加筆したいくらいです。

 

 

 

 

人の気持ちも、抽象度を上げれば見えてくるし、安易にバッシングしなくなる

 

また、今回の事故に限らずですが、やはり人の気持ちを慮らない人が多いな、と寂しく思います。

 

 

人の気持ちの考え方に関しては、

 

【vol.017】 第4節:人の気持ちは連立方程式を立てて客観的・抽象的に考える   (noteの記事はこちら)
【vol.018】 人の気持ちを考えるワーク!   (noteの記事はこちら)

 

でも書いたので興味があればぜひ参考にしてほしいんですが、今回は加害者の気持ちに思いを馳せます。

 

 

このような事故が起こった場合、被害者やその遺族はいたたまれない気持ちであると察しますが、加害者側だってそうだと思えませんか?これは事件ではありません。事故です。加害者側に人を傷つける意図なんてなかったろうと思います。だけどこんな結果を招いてしまった。

 

 

 

今回の事故は、具体的に言うと、

 

「殺意はなかったけれども、右折時に前をよく確認せずに進んでしまったことによって対向車と衝突し、そのはずみで園児や保育士を死傷させてしまった」

 

と言えます。

 

 

 

これと具体レベルで同じ経験はほとんどの人にないかもしれませんが、抽象度を上げて捉え直すと、

 

「悪意はなかったけれど、自分の頭で考えず軽率な行動を取ったがゆえに他者を巻き込みながら、結果として人を傷つけてしまった」

 

と言い換えられます。

 

 

 

だから人の気持ちを考える時は、右折時の死亡事故をイメージするのではなく、この抽象度で考えてほしいんです。人間生きてりゃいろいろあります。その「傷」というのはに「心の傷」も含めたら、あなただってこの

 

「悪意はなかったけれど、自分の頭で考えず軽率な行動を取ったがゆえに他者を巻き込みながら、結果として人を傷つけてしまった」

 

のような経験をしたことはあるでしょう。そしてその時に、不幸にも被害者が死傷してしまったんですよ。もし自分がそうなったら、その後の人生でずっと背負っていく自責の念がどれほどのものか、想像を絶するものだと思いませんか。

 

 

 

加害者に関しては

 

>取り調べに対し、取り乱していた
>被害者に対して謝罪の言葉を述べているという。

 

という報道もあります。

 

自分の意思に反して死亡事故を起こしてこのような言動になっている加害者の気持ちは、推して測るべしです。

 

 

 

だから、あなた自身が経験した(かもしれない)

 

「悪意はなかったけれど、自分の頭で考えず軽率な行動を取ったがゆえに他者を巻き込みながら、結果として人を傷つけてしまった」

 

時の自分の気持ちをイメージできたなら、安易に加害者を傷つけるような言動はできないはずです。

 

 

 

そりゃ被害者や遺族の方は実際に被害に遭われている当事者ですから、感情的になりやすいし、そこまで冷静に考えることは難しいと思います。私にもちょうど保育園に通う2歳の娘がいます。彼女が被害に遭ったとしたら、と考えると、それだけの冷静さを保てないように思います。

 

 

ただ、直接の当事者でない人々までもが行なっている加害者への安直なバッシングには、嫌悪感を抱きます。

 

そんだけバッシングしたって、信号のある交差点でトラックの後ろを付いて行ったり、横断歩道を渡ろうとしている人がいるにも関わらず一時停止しないなら、それはもう同じ穴のムジナですからね。どの口が言うとんねん、という話です。

 

 

 

また、今回の事故の直進車が自分だったらと思うと。。。自分の頭で考えて運転していたとしても、人の命を奪っていたかもしれません。車を運転するということは、それだけの責任が生じるものです。

 

私自身、常に完璧な運転ができるわけではないし、こちらがどれだけ配慮しても防げない事故もあるから、それもあって、昨年せめて自動ブレーキ機能のある車に買い換えました。ほんと、明日は我が身かもしれないですから。

 

 

 

こうして抽象度を上げると明日は我が身と思えて生き方が改善されやすいし、抽象度を上げると自身の同じような経験から安易に加害者を責めようとしないはず。

 

そのステップを踏んでから意見を述べて欲しいというのが私の考えで、それをせずに他者をバッシングする抽象度の低い人たちに私は嫌悪感でいっぱいです。

 

 

 

 

最後に

 

これまでこのnoteのマガジンで「抽象度」についてマニアックに語ってきましたが、今回の事故ひとつとっても、この「抽象度」という観点がいかに大切かをわかっていただけたのではないかと思います。

 

(いや、わかってもらえんかな。。
最近、自信がなくてですね、わかってもらえる自信が。。)

 

 

このような「抽象度」という概念が、学校で行われている教科教育を通して身に付くとしたら、建設的な社会になると思いませんか?学ぶ価値があると思いませんか?

 

少子高齢化でお先真っ暗との声が多いこの日本ですが、教育を変えていけば、まだまだやれることはあると思っています。

 

 

ひとまず、「1時間目 こくご」の授業はこれにて一旦終了します。続いて「2時間目 えいご」に移る予定でしたが、予定を変更して、今後は「鬱」について書き進めることにしました。

 

 

抽象度を上げることができると、事故や事件の本質的な対策ができたり、人の気持ちを慮ることができたりするんですが、他にも、鬱になりにくくしたり、また鬱から抜けることにも役立つんです。

 

だから鬱予防の意味も込めて、教科教育を通して抽象度の高さを身につけるnoteを書いていたわけなんですが、最近になって鬱の相談がとても増えてきたんですね。だから今はそれに個別対応しているんですが、この対応は個別対応でないと賄えない部分と、言語化して広く発信するだけで賄えそうな部分とがあるんです。

 

なので、目下で辛い思いをされている方がいらっしゃるその緊急性からも、まずはその鬱に関して言語化して広く発信することの優先順位を上げることが合理的かな、と思い、方向転換することにしました。

 

 

 

ぶっちゃけ、抽象度を高める教科教育の在り方は私でなくともできることだと思いますし。このnoteのマガジンを読まれた教育関係者の方々、ぜひご自分の教科の中でトライされてください。

 

鬱の記事が落ち着けば、2時間目以降、英語、数学、理科、社会を順次書いていこうと思います。

 

それまではこのnoteでは「鬱」に関する記事を中心に書き進めていきますんで、ご興味のある方はこちらのマガジンをフォローをば。

 

 

 

 

 

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これまで「こくご」の授業にお付き合いくださった方々の「スキ」や「シェア」やコメントが、記事を書くエネルギーの源泉となりました。どうもありがとうございました。

 

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