掲載元:note(2019年3月18日) https://note.mu/maegawa_shinsuke/n/n8bd91a158c73?magazine_key=m0e09afcfe2eb    

【vol.005】 コラム:「対比と理解」

  こんにちは。まえぴょんです。   今日はポカポカした日和でしたね。心なしか花粉も少ない?寒がりの花粉症である私からすると心地の良い日でした。 さて、今日は「具体と抽象」からちょっと距離を置いた話をしていこうと思います。今日のメインは、「対比と理解」です。

 

 

「たくさん本を読めば読解力がついてくるよ」は、ウソ

  突然ですが、   「漢字は読める、文法もわかっている、単語の意味も知っている。だけど文章を読んで何が言いたいのかようわからん!」 という人がいます。   そういう人に、「どうやったら読解力が上がりますか?」と問われ、   「それはね、たくさん本を読めば読解力がついてくるよ。」   なんていう「教え」を伝える人がおられますが、     「そんなもんで読解できるようになるかい!!!😤」     と私は思っています。というか、そう教えてしまうなんて無責任やなぁ、とも思います。適切でない努力は平気で人を裏切るからね。   適切な読み方ができない人は、いくら「読書の量」をこなしたところで読解できるようにはならないのです。「読書の質」を上げないと、読んでも読んでも「分からない」ことが苦痛で、それこそ読書から遠ざかってしまうんじゃないかと懸念します。   理に適っていない投げ方をする野球少年に、「大谷のように活躍したければ、もっとたくさん投げ込むんだよ」とアドバイスするようなものです。正しいフォームを指導して投球の質を上げないと、そのうち肩や肘を壊して野球を諦めざるを得ない身体になることでしょう。     やはり、スポーツでも読解でも、理にかなった適切な型というものがあります。その型を学び、質を上げていくからこそ能力が上がるし、その型を教えるのが教育者の務めだと思います。  

 

読解に必要な3つの型

  読解をするにも必要な型っていうのがあって(それイコール思考の型やと思っているんですが)、この抽象的な3つの型を習得すれば、読解の質はぐっと上がると思います。   ①対比と理解 ②具体と抽象 ③原因と結果   ②具体と抽象 この中でも②は一番難しく、そして奥深い分野だと感じています。だから今後も引き続きこのnoteでそれなりのボリュームを使って説明していきます。   ③原因と結果 これはまぁそこまで難しくなくって、 ・因果関係のステップを飛ばさない ・因果関係と相関関係の違いを見極める あたりを押さえておけばいいかな。またそれは別の機会に。   ①対比と理解 というわけで、今回のコラムでは①の「対比と理解」ってのを取り上げたいと思います。  

 

具体物の輪郭と「分かる」

  ではさっそく「対比と理解」の概念を学ぶために、いきなりですがこの写真を見てください。被写体が何か分かりますか?     分かるわけないですよね(笑)でも上半分は青空なのかな?くらいの曖昧な予想はできます。     ではこの写真はどうでしょう?     やっぱり上は青空なんでしょうね。そして下は家っぽいですね。     はい、じゃぁ最後に実写版!     じゃーん!やはり青空と家でしたー!バックには山もありましたね!そして煙突が2本も伸びています!てことは薪ストーブや薪ボイラーがあるんでしょう!   お、そして左下の壁あたりに黄色い服を着て何やら作業をしている人がいますねー。     実はこれは私がこの春から開業する農家民宿の今日の姿です。黄色の服の後期高齢者のおじさまと共にここで遊び倒すので、よかったらいらしてください。美味しいお蕎麦もありますよ〜     玄関先の梅も咲いてきましたo(^▽^)o     とまぁ本題から逸れてしまいましたが、最初、輪郭がぼやけている間は何がなんだかわからなかったけれど、輪郭がハッキリしてくると境界線が明確になり、空、家、山、地面などを「分けることができる」状態になりました。   実はこの明確な境界線を引く作業が、「分かる」「理解」という言葉の概念のヒントになっているんです。

 

 

 

抽象概念が「分かる」という状態

  我々は日常でよく「分かった!」という言葉を使っているかと思うんですが、それって脳内でどういう認識が起きているかわかりますか?実は、   「分かった!」=「分けることができた!」   という状態なのです。何かと何かを明確に分けることができた時、我々は「分かった」と認識するのです。それが「理解」でもあります。   「理解」という漢字の成り立ちからもそれは言えます。「理解」の「理」は「王」編に「里」。この「里」という字は「土」の上に「田」んぼと書きますが、これは「区画整理された土地」という意味から来ています。つまり、分けられているわけですね。また「理解」の「解」は、牛の角を刀(で割る)という文字から成り立っていて、こちらも分けるというニュアンスが含まれていそうです。   この写真に写っているものは具体物の集合体ですが、我々の頭の中で理解しようとしているものは全て抽象概念です。その抽象概念でも写真と同様、何かと何かの輪郭がハッキリして境界線を引けた時に、我々は「分かった!」「理解できた!」となるのです。   そしてこれまでの授業でお伝えしてきた「救急車」「球技」「運が良い」などという抽象概念をドンピシャズバリで言い当てた時の快感は、まさにこの「分かった!」瞬間に得られるものなのです。   つまり、他の抽象概念とキレイに分けることができた!という状態なんです。抽象表現ゆえの曖昧さを含んだ分け方で留まっている間は、「分かった!」という快楽は得られません。モヤっとしてます😩   ここからは、抽象概念の「分かった!」=「ドンピシャズバリ!」を導く方法を具体例を用いて考えてみましょう。

 

 

高校生は「生徒」か「学生」か?

  私には今2歳の娘がおりまして、今はいろんな言葉を獲得している最中です。彼女がまだ1歳の頃、実家の犬を見て「ワンワン、ワンワン」と言っていました。「おー、ついに犬を犬として認識し始めたか」と思ったのですが、その直後、家の前を歩く野良猫を見て、同じく「ワンワン、ワンワン」と言っていました。分かってないじゃん(笑)   そう、分かってないのです。犬と猫というそれぞれの抽象概念に明確な境界線を引くことができていないんですね。その状態では日本語という共通言語を扱う能力が低いと言わざるを得ませんが、最近は「ワンワン」と「ニャァニャァ」の区別がついてきました。立派に成長してきて、お父さん嬉しい!   「そんな、犬と猫くらい見たら分かるよ」という人が大半だろうと思いますが、実は世の中は分かっているつもりで分かっていないことだらけなんですよね。   例えば、そうだな、このnoteを読んでいる人の中には中高生もいるかもだから、その中高生の分類について質問してみましょう。

  問: 「高校生」は生徒ですか?学生ですか? そもそも「生徒」ってなんですか?「学生」との違いはなんですか?

  これを一言でズバっと言い当てることができない人は、「生徒」のことも「学生」のことも分かってないのです。だって、分けることができてないんだから。「生徒」や「学生」という言葉があることは知っているけど、意味までは知らない状態です。   それは私の娘が犬と猫を分けることができていなかったのと本質的には同じことで、似て非なるものに境界線を引けていない状態です。じゃぁどうすれば理解できるのかと言うと、お察しの通り、「生徒」と「学生」との間に明確な境界線を引こうとすればいいのです。   そのヒントは基本的に辞書に書いてあるので、手始めに「生徒」で辞書を引いてみると、

 

せい‐と【生徒】 ⑴学校などで教えを受ける者。 ⑵特に、中学校・高等学校で教育を受ける者。小学校の「児童」、大学の「学生」に対していう。 出典:デジタル大辞泉(小学館)

  とあります。今回は「生徒」と「学生」の違いを明確にするので、⑵の意味を掘り下げてみましょうか。   辞書に書いてあることを整理すると、 小学校で教育を受ける者→児童 中学校・高等学校で教育を受ける者→生徒 大学で教育を受ける者→学生 と読み解くことができます。さらに、文科省の学校教育基本法に定められている内容まで取り入れて整理すると、  

初等教育機関(幼稚園、小学校)で教育を受ける者→児童 中等教育機関(中学校、高等学校)で教育を受ける者→生徒 高等教育機関(大学、短大、高等専門学校など)で教育を受ける者→学生

  とまとめることができます。     この構造で言うと、中学生は生徒ですね。そして中学校を卒業して高校生になったら生徒。だけどもし、中学校を卒業して高等専門学校(高専)に入ったら、その人はもう学生です。だって高専は高等教育機関だから。   通っている学校が初等教育機関なのか中等教育機関なのか高等教育機関なのか、そこを対比すれば答えは見えてきましたね。     ほーら、ここまで対比が進むと、だんだん「生徒」の輪郭がハッキリしてきたでしょ?「児童」との違い、「学生」との違いが見えてきましたよね?   このように、何かの抽象概念を理解したかったら、その周辺にある「似て非なる抽象概念(類語)」を引っ張り出してきて、比べるポイントを揃えて対比し、境界線を引けばいいのです。それがきちんとできた時、あなたの「理解」は深まります。   さらに、「似て非なる抽象概念(類語)」の他に、「反対の意味の抽象概念(反意語)」との対比も理解を深めてくれます。生徒が教育を受ける者だというポジションから考えると、その反意語は教育する者、「教員」でしょうかね。   それらを踏まえると、こうなります。     ここまでくると、「生徒」という抽象概念がどういう意味なのか、かなり深く理解できたかと思います。これが私の言う、「対比と理解」の関係です。適切に対比することが理解を深めるのです。  

「体罰」の意味を深く理解する

  続いて昨今問題視されている「体罰」という言葉の意味を調べてみましょう。

  たい‐ばつ【体罰】 肉体に直接苦痛を与える罰。 出典:デジタル大辞泉(小学館)

  ふむふむ。     そして続いて類語を調べると、   「意義素:人に力で危害を加える行為のこと」という抽象概念の下に、

  「体罰」の類語 暴力 ・ 暴虐 ・ リンチ ・ 暴行 ・ 横暴 ・ 虐め ・ からかい・ 弱い者いじめ ・ イビリ ・ シゴキ ・ 虐待 ・ DV ・ 粗暴行為 ・ 暴力行為 ・ 殴る蹴るの乱暴 ・ 乱暴行為 ・乱暴 ・ 乱暴狼藉 ・ 切った張った ・ 殴る蹴るの暴行 ・ 苛め ・ いじめ ・いたぶり ・ 虐げ

  などが出てきます。   これら類語には「体罰」を深く理解するためのヒントがたくさんあるのです。   例えば、「体罰」と「暴力」は何が違うんだろう?どこに明確な境界線が引けるんだろう?   という発想で、その違いを調べることができれば、「体罰」についての理解はどんどん深まっていきます。試しにやってみてください。   また「体罰」の反意語は何でしょう?ちょっと考えてみましたが、えー、パッと出てきませんでした(笑)ま、そうこともあります。そういう時は類語と境界線を引いて理解を深めておいてください。それだけでもかなり理解力がつきますから。

  (3/19 10:15 反意語について追記) 今回の「体罰」では反意語を見つけられませんでしたが、捉えづらい抽象概念を掴もうとする時に、この反意語からのアプローチは有効なことが多々あります。例えば「生きる」という概念を掴むために、その反意語の「死ぬ」ということの意味から考えてみるとか。「生きる」が今当たり前にありすぎるからこそその概念を捉えづらいという時に、その逆の「死ぬ」からアプローチすることで、当たり前で気づけなかった「生きる」を捉えるキッカケを作るということです。そういう意味でも、【反意語からのアプローチ】は覚えていて損はないと思います。

    そう言えば、よく学校の体罰問題をワイドショーでヤイヤイ言うてますけど、ほとんどのコメンテイターたちは理解力が低いですね。「体罰は良くない」とかおっしゃっているその対象行為のほとんどは「体罰」ではなくて「暴力」ですから。そんな言葉の違いがわからなくてもコメンテイターって成り立つ仕事なんやなぁ、テレビを観ていて思うことが多々あります。     話は逸れましたが、類語や反意語は無理して覚える必要はないと思っています。似て非なる抽象概念との境界線を引いたり、反対する抽象概念と比べたりして理解を促すために活用していきましょう。そうして理解すれば、結果的に記憶に定着するものです。

 

 

まとめ

  ここまでをまとめると、   ある抽象概念を理解するためには、似て非なる言葉(類語)と対比させて明確な境界線を引いたり、反対する言葉(反意語)と対比させてポジショニングをより明確化させたりすることが重要   ということと、  

この春から農家民宿をやるから遊びに来てね!

  っていうことかな。特に2つ目が重要なんで、テストにはでないけど覚えといてね!     今日は「具体と抽象」からちょっと離れた概念でしたが、「具体と抽象」を理解するためにも必要な考え方だと思ったので盛り込みました。次回からまた「具体と抽象」の話に戻りたいと思います。     ご意見・ご質問等ございましたら、noteのコメント欄にコメント入れていただくか、抽象思考オタクのツイッターアカウントを作ったので、こちらまでご連絡ください。今日はこのアカウントで抽象度の低いある公務員のことをつぶやきました。だって選りに選って入り口付近の通路に車を停めるんやもんな〜   抽象度、アゲアゲでいこうぜ!

 

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