掲載元:note(2019年3月21日)

https://note.mu/maegawa_shinsuke/n/n9e928f0d5e07?magazine_key=m0e09afcfe2eb

 

【vol.009】 第2節:抽象度を合わせるだけでセンター試験も正答率アップ!?

 

 

こんにちは。まえぴょんです。

 

 

人は相応のショックを受けないと変わらない生き物

 

今日はNPO法人他力本願研究所の通常総会がありました。昨年度の実績報告や、今年度の事業計画などを議案に出し、承認されました。ふぅー、一安心。

 

その場でも話題に上がったんですが、

 

 

「人は相応のショックを受けないと変わらない生き物」

 

 

だと思っています。いくらいい話を聞いたって、それなりのショックがないと変わらない。昨日と同じ今日を過ごし、今日と同じ明日を迎える。

 

さて、今日もまた、NPO法人他力本願研究所の元に鬱の方から連絡がありました。伺うに、とても辛いお話でした。ご本人さんも相当なショックを受けておられると察します。

 

そういう意味では、鬱になることはチャンスだと思っています。生き方そのものを根底から覆すチャンスなのです。それは言い換えると、抽象度を上げるチャンスです。そもそもの考え方、生き方を変えないとまた心が壊れてしまうから、抽象度を上げて変えざるを得ないのです。

 

私はそれもあって、鬱から脱却していきました。

 

 

まぁでもできれば私のように鬱になって苦しまなくても抽象度を高く豊かな人生を送れたらいいよね、と思うので、たいていの人がそれなりに取り組むであろう教科教育を通して、抽象度を上げる術を身につけておいてほしいのです。

 

ほんと、生き方までラクになりますからね。

 

 

 

 

抽象度を合わせるだけでセンター試験も正答率アップ!?

 

抽象度をコントロールすることができれば、それだけでセンター試験の正答率まで上がるんですよ。しかもラクして。っていう話を今回はします。

 

これは平成30年の現代文大問1問2ですが、実は本文を読まなくても5つの選択肢を2つまで絞り込むことができます。その際に、前節でも取り上げた抽象度が不揃いの「気持ち悪さ」を持ち合わせられるようになると、センター現代文の選択問題でも威力を発揮することがあります。

 

ちょっと字が小さいかなー。。

 

 

まず、問題文を読むと


問2傍線部A「講義というような、学生には日常的なものでさえ、素朴に不変な実在とは言いにくい。」とあるが、それはなぜか。その理由の説明として最も適当なものを、次の〜のうちから一つ選べ。


 

とあります。

 

この傍線部A「講義というような、学生には日常的なものでさえ、素朴に不変な実在とは言いにくい。」は、前半と後半に二分できますよね。そして

「講義というような、学生には日常的なものでさえ、」

 

という前半は具体的です。

 

 

そして

「素朴に不変な実在とは言いにくい。」

 

という後半は抽象的です。

 

ということは、この理由の説明だって「具体+抽象」のセットで書かれていないと抽象度が揃わず無理が出てくるので、回答の選択肢も「具体+抽象」のセットになるはずです。

 

 

そのような観点で選択肢を見てみると、こうなります。

 

じゃーん。

①ありふれた講義形式の授業でも、授業者の冒頭の宣言によって学生が授業内容の暗記をこころがけていくように、学習の場における受講者の目的意識と態度は、授業者の働きかけによって容易に変化していくものであるから。
→具体+具体

 

②ありふれた講義形式の授業でも、授業者の冒頭の宣言がなければ学生にとっての授業の捉え方がさまざまに異なるように、私たちの理解する世界は、その解釈が多様な可能性をもっており、一つに固定されたものではないから。
→具体+抽象

 

③ありふれた講義形式の授業でも、授業者の冒頭の宣言がなければ学生の授業の聴き方は一人ひとり異なるように、授業者の教授上の意図的な工夫は、学生の学習効果に大きな影響を与えていくものであるから。
→具体+具体

 

④ありふれた講義形式の授業でも、授業者の冒頭の宣言がなければ学生にとって授業の目的が明確には意識されないように、私たちを取り巻く環境は、多義性を絞り込まれることによって初めて有益な存在となるものであるから。
→具体+抽象

 

⑤ありふれた講義形式の授業でも、授業者の冒頭の宣言によって学生のふるまいが大きく変わってしまうように、特定の場におけるひとやモノや課題の間の関係は、常に変化していき、再現できるものではないから。
→具体+抽象

 

 

というわけで、「具体+具体」で理由が書かれている①と③が選択肢から外れそうです。後半の抽象部分を具体だけで説明できるはずがないですからね。

 

 

20年以上も前の私が現役高校生だった時に、この手の消去法を物理でやったような記憶があります。それは単位なんですけどね。明らかに単位が合っていない選択肢があったので、それらを消去するだけで二択になるというマジック(笑)

 

私、高校3年生の最後の実力テストで物理が0点だったんですけど、冬休み明けの日に1日で河合塾の黒本を仕上げるほど短期集中で勉強した結果、センター試験の本番では96点取れました。その差にびっくり!

 

短期間で大量の問題を集中して解いていくと、パターン化できていくんですよね。そのパターン化こそが抽象思考で、点を取るための思考回路はできあがるという。「単位が合ってない」というのも、そのパターン認識の一つでした。それに限っては物理の本質理解とはちょっとずれてたけど(笑)

 

ま、物理の単位が揃っていない選択肢が不正解であるのと同じように、現代文で文章の抽象度が揃っていない選択肢も不正解なんだ、ってことです。

 

 

 

さてこの問題の解法の続きです。

 

そもそもの話ですが、この傍線部Aでは「素朴に不変な実在とは言いにくい。」とあるので、選択肢の理由には「不変じゃないよ、変わるものなんだよ」ということに言及されている必要があります。

 

その視点でもう一度選択肢を見てみましょう。

 

じゃーん。

①ありふれた講義形式の授業でも、授業者の冒頭の宣言によって学生が授業内容の暗記をこころがけていくように、学習の場における受講者の目的意識と態度は、授業者の働きかけによって容易に変化していくものであるから。

 

②ありふれた講義形式の授業でも、授業者の冒頭の宣言がなければ学生にとっての授業の捉え方がさまざまに異なるように、私たちの理解する世界は、その解釈が多様な可能性をもっており、一つに固定されたものではないから。

 

③ありふれた講義形式の授業でも、授業者の冒頭の宣言がなければ学生の授業の聴き方は一人ひとり異なるように、授業者の教授上の意図的な工夫は、学生の学習効果に大きな影響を与えていくものであるから。

 

④ありふれた講義形式の授業でも、授業者の冒頭の宣言がなければ学生にとって授業の目的が明確には意識されないように、私たちを取り巻く環境は、多義性を絞り込まれることによって初めて有益な存在となるものであるから。

 

⑤ありふれた講義形式の授業でも、授業者の冒頭の宣言によって学生のふるまいが大きく変わってしまうように、特定の場におけるひとやモノや課題の間の関係は、常に変化していき、再現できるものではないから。

 

 

このように、③と④は変化については言及されていないことがわかります。そのため、③④は正解でなさそうです。

 

 

以上より、①③④が選択肢から外れ、残すは②と⑤のみとなりました。さすがにここからさらに絞ることは難しいかな。いや、いけるかな?(笑)(←天邪鬼なんでこういうことを考えるのが好きなんです)

 

 

まぁあとは本文をサクっと読んでみてれば⑤は明らかに違うことがわかるので、正解が②であることが導き出されます。

 

 

どうですか?「抽象度」という視点を持つだけでもセンター試験の正答率が上がることがわかっていただけました?これを機に「抽象度」のこと見直していただければ幸いです。ほんと便利でいいヤツなんですよ。

 

 

このように、「抽象度」という視点で問題と対峙することで見えてくる世界があるのです。この活用方法は全ての問題に活用できるほどのオールマイティさはありませんが、持っていて損はしない視点です。

 

 

 

今日はここまで〜

 

 

さぁ今夜は姫路に向かいますよ。ちょー面白い高校の教員と、来年度の授業の打ち合わせです。高校生たちの抽象度をアゲアゲにして、鬱にもならず、豊かな人生を歩んでもらえるように励みます(その打ち合わせで今夜しこたま飲みます)!

 

 

 

 

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