※この記事は「人生を前向きに歩んでいくための心の土台づくり」と題して、前ぴょんが朝来市広報誌2018年8月号〜2019年3月号までシリーズで寄稿しているコラムの2019年1月号分です。

広報誌のウェブサイト版はこちら

 

===

 

  • 「子どもの成長を妨げる過保護な関わり」

以前、高卒で入社してきた若者がいました。高校では「素直」「優秀」という評価を得ていたようですが、実際に仕事を始めてみると、何をするにも自分で決めることができない「指示待ち」で、「次は何をしたらいいですか?」が口グセでした。そこで、「次は何をすべきか、自分で考えてみたら?」と言うと、固まってしまい、仕事になりませんでした。

 

なぜそうなったのかいろいろ話を聞いてみると、先生や親の言うことに従っていれば「素直だ」と褒められるから、わざわざ自分で考える必要がなく、言われたことしかできなくなったようでした。

 

これは「過保護」だと思いました。青年が考える前に大人たちが先回りし、考える機会を奪っていたのですから、当然考える力がつきません。

 

このような過保護は至る所に隠れています。倒れそうになった積み木に親が先に手を出したら、積み上げる能力が身につきません。「次はこのおもちゃで遊んだら?」と提案し続けると、自分の行動すら自分で決められない受け身のマインドになります。

 

子どもの遊びにしても勉強にしても、経験の多い大人はどうしても先が見えてしまい、口や手を出しがちですが、そのような過保護な関わりで成功するチャンスも失敗するチャンスも奪うことが、その子の自立的な成長を妨げてしまうのです。良かれと思ってやったとしても、です。

 

子どもは十分に甘えると、自立に向けて動き、何かに挑戦しようとします。その時に過保護に手をかけず、「親」の字の如く、木の上に立って見守るくらいの関わりが、その子の自立を促せるんじゃないでしょうか。

 

かく言う私も愛娘を溺愛しておりまして、つい手をかけたくなってしまうんですが、一つでもできることが増えて、主体的に生きていける大人になってもらうため、グッと堪えております。その分、甘えてきた時にはどっぷりと甘えさせて自分のバランスを取っています♡

 

次回は「人の顔色を窺うようになる過干渉な関わり」について考えてみたいと思います。

 

 

朝来市広報誌2019年01月号